掲示板

BBS
アイコン設定
投稿者さん使い方

掲示板の主旨に反する投稿は掲載されません。掲載の是非は管理者が判断いたします。予めご了承願います。
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/22 17:41 (No.1331907)削除
arataさんから大好きなバターサンドとバタークッキーとニャンコの絵はがきでメッセージを送っていただいた。arataさん、ありがとうございます。ちびぬい達が大喜びでひとしきり喜びの踊りを踊ったあと、「おれいのおてまみ」を書くと言い出しました。ちびぬいたちは目下平仮名一文字、という感じです。いちばんむずかしい「あ」は羽京ちびぬいが、「り」は司ちびぬい、いちばんおもしろい「が」は千空ちゃんちびぬい、「と」はゲンちびぬい「う」はゲンかごぬいが書くのだそうです。・・・・書きました。
arataさん (95kjhb8x)2024/11/22 20:52削除
arataさん (95kjhb8x)2024/11/22 22:15削除
ぬいちゃんたち、可愛らしいお手紙ありがとうございます。momijiさん、お写真いつも楽しませていただいています。
返信
返信2
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/21 14:38 (No.1331106)削除
うちが昔作った銀の鋳造製品は、当時の知識では十分なことはできなかったが、丁度その技術が一般に行き渡り始めた頃のものだから文化史的にはそれなりに貴重だと思う。フィクションの人魚館の司の書斎の家具のモデルにしたガラス棚に、天使の顔とベビーグリフォンとカリオストロの城のリスペクトがある(技術的にできなかったので山羊の背景に青い色が塗っていない)。物は、変わらずに情報処理を待っていてくれるからありがたい。問題は、歯科技工師用の細密鋳造ワックスで彫刻だけ済んでいるがまだ鋳造していない試作品である。この金銀の高いときに、どうしたものか・・・
写真は円座前のけやきが美しく紅葉している(左の木は多分上を渡っている電話線の影響で紅くて、更に綺麗)のと、8日に誕生日祝いにもらった司カラーのお花がまだこんなに綺麗なので司人形ちゃんと一緒に撮ったもの。
arataさん (95kjhb8x)2024/11/21 20:15削除
お花とお人形の写真は最強!
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/21 20:41削除
最強、イエーイ!(はいたっち)
返信
返信2
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/17 22:44 (No.1328517)削除
昨日時雨のお母さんが時雨にミルクティを飲ませるために私が用意した2種類のカップのうち選んだのは1970年代の橘吉の若者向きブランドのアダムとイブのデミタスであった。
私は陶磁器は何でも好きなので沢山持っているしけっこう詳しいと自分では思っているが、まあ実際はあまりたいしたことはない。
昔の雑誌の写真でライラックをテーマにした一頁があり、ライラックの咲く庭でちょっと古いライラック柄の色絵の磁器のティーセット(特に高級品でもない、西洋の普通の腕の画工が描いたお花の下絵を普通のヨーロッパの陶磁器工場で印刷焼成したもの)でお茶を飲むという、何でもない話があって、それが特に好きというわけでもなかったのだが、よく似た時代の雰囲気のスミレの柄の茶器があって、今入札してしまっている。落札できるかどうなるかわからないが、私はあんな雰囲気の時代に帰りたいと思っているのだろうか、と不思議に思う。そんな時代を経験したこともなく、経験したいと思ったこともない。花は薔薇が好きで、菫は嫌いではないがどちらかと言えば三色スミレのほうが飛影に似ていて面白い。
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/17 22:48削除
今少し値をつり上げられている。どういう仕組みになっているのか知らないが、楽しませてくれているのだろうか。
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/20 16:02削除
セットの割れ残ったもの(私はこういう残欠も好きである)をバラバラに売り出していて、半分ほど(ポット、カップソーサー一組、ミルク入れ、ケーキ皿3枚)買えたので、支払いをして、今届いた。手間と金額と入手にかかる時間などから、昔、ベルゲンラントというビレロイボッホの廃盤になった銅版画の製品の、ロート(赤)を探して、大阪の問屋さんまで追跡して手に入れたことがあるが、何となくその時のことを思い出した。
今回のこのスミレのセットは戦後の東欧製でそんなに高級品でもないし陶磁器技術的にも普通だが、紅茶の味を重視した作り(さすがにこの大きさのポットで淹れると美味しい。内蔵タイプの使い込んだアルミの茶こしが附属しているが、うちでは使わない。ミルク入れの容量もカップの飲み口の厚みも大変良い。)の、ゆとりある一般人の使うものである。丁度奥様用一人分だけ手に入ったのも何かの縁だから大事にしよう。注ぎ口が欠けているので直しに出そうかどうしようか考えている。小さなお人形さんたちが見に来た。体が壊れやすいので静かな生活をしているこの子達に似合うかもしれない。紫は幻ちゃんの色である。
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/20 16:07削除
今日から11月祭だが今年は歯の具合がこのように悪いから(まだ痛い)安静にせざるを得ない。射場、クジャク、折紙、私が行くから来年まで待ってろ。
返信
返信3
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/19 12:53 (No.1329638)削除
昔は歯並びが悪いことを今ほど気にしなかったようで電通は〈八重歯は可愛い〉とすら言っていたし松田聖子も出たての頃は八重歯だった(そして2度目の結婚は歯科医とだった)。歯列矯正の技術はすでにあったのだが、私は下顎部の歯並びがめちゃくちゃであったが上顎は前1が内翻していたが一応揃って見えたので責任者(彼らも歯の事情は極めて悪かった)に放置された。妹なんかが運動中の事故で両方の前歯を折って、処置しなければならなかったとかで予算もないと思っていたのだろう。
歯並びが悪いと歯の質の悪い場合は不可避に虫歯になる(恐ろしいことに、チビがそうなのだが、歯並びが良くても、いきなり奥歯の間から2本同時にやられる。チビはステロイドの後遺症もあって歯の質は悪いので親はいつも心配だし本人は月一回歯科にチェックに行っているから手入れの習慣の問題を越えている)。今まで持たせた数本の歯の一本がついに限界に来た。昨日はバッファリン(アセチルサリチル酸が主剤で、骨髄炎で常用している。この頃、老人は血流改善のため常用する場合もある。体質に合えばラッキーな、古い薬である。)を服んで寝ていて、治療の可能性があるギリギリの所(だったらしい)で歯医者さんに行ってきた。今、これも古くからある治療だが、虫歯の痛みを取って歯の外側の固い部分だけを使えるようにする(だが死んだ歯は弱くなり早晩割れる)ために、神経を殺す薬を入れている。まだ痛い。
根本的なパラダイムシフトとしてはたとえばips細胞に期待しているのだが、まだハリウッドセレブとか皇室とかの段階で、歯の治療への応用が私の所に届くまで時間がかかるらしい。
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/19 20:39削除
これはチビが買ってきた期間限定のスライムパンの黒胡麻香る豆乳味とちょこ香るカスタードクリーム入り。ちびぬい千空ちゃんはオレンジ色のが好きらしい。デフォぬいゲンちゃんは黒胡麻。何かの不具合で写真がどうしても逆さまになる。
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/19 20:44削除
うちの同人誌でも前に言及したが、セブンは私がネットの支払いに使っているから、うちにとっては近所の神社のような大事な金融機関である。今知っている限りのことで判断すれば、できれば、創業家の支配下にあって欲しい。
返信
返信2
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/14 21:28 (No.1326084)削除
先日のコスモスの会で私も写っている写真を送ってきたので載せておく。上前をもうちょっと右の方へひっぱっておいたら良かったなと思っている。この着物はチビに、同じ麻の葉柄だが、茶色の大島のと、この藤灰色のよこがすりの紬と、どちらが良いか聞いて、その上で着てきた物だが(帯は有栖川錦の鹿の模様をアレンジした多色の綴れ)、駅からお店までの坂道で転んだので(ゆっくりこけたので、さいわいたいしたことなかった。翌日のピアノのレッスンは無事にこなした。)ちょっと歪んでいる。岡本の駅の周囲の道は皆坂で、舗装が傷んでいるところも沢山あって危ないがみんなよく平気だな、慣れてるんだなと思う。
ぬいは司デフォぬいちゃんで、オリジナル衣裳にコハクの首飾りとベルメイユの小さなロケット(ほんとに蓋が開く)等を付けさせた子だが、誰も全く(ほんとに完スルーである)興味を示してくれないのでちょっとガッカリしていたようだ。それでも私のお出かけにちゃんとお供できて偉いから、沢山褒めてあげた。私以外の着物の女性は、今朝丁度お茶のお稽古があって、このあと一度帰宅して着替えてお泊まりに合流するのだそうだ。ちなみに岩本さんは趣向で、テレビドラマの虎がなんとかというののコスプレ(あとから聞けばレンタルで2万以上したという!)の昔の法服を着てきたのだが、それもみんな完スルーだった。(わたしなんか、「岩本さんも裁判官になったのだろうか」と本気で思っていた(笑))なにかこう、冗談のすべりやすい集団であるらしい。しかも地味だ!
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/14 21:43削除
うえやなぎさんは見かけは(服装の趣味も)ほとんど昔のままで、可愛い人だった。でももうたくさんの関係者が居て、京都の家にはお姉さんの一人が住んでいるからもう帰らないそうだ。裁判官をやってるときはほぼ2年おきに転勤があって、子どもを連れてあちこちに住んで、神戸にも住んだそうだ。他の人は年を取って見えるが、やはり苦労の身につかない人(←月子さんが言っていた)というのはいるものであるようだ。
返信
返信1
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/13 15:30 (No.1325141)削除
なんか、菊池寛の本を下巻だけ買って、良く読んでないのだが(しょっちゅうどこかへ行ってしまう)、義和団事変のことがかいてある・・・・
菊池寛の娘さんが大金持ちで寛土里という陶器の店をやってたと思って、お雛様関連の資料を調べたら、私の思い違いで、菊池寛ではなく菊池寛美という別人の娘らしい。

菊池寛は筋の良い四国の没落士族の家に生まれた能力者で、学歴も傷だらけだがまあ普通である(知能があって正統な厳しい訓練も受けた)。
引用(ういきの孫引き):
日本が数年来、反動的な右傾時代になつたに就いては、政党政治の堕落も、その一つの原因であるが、もう一つは共産主義者の妄動である。彼等は、日本に対する正当なる認識を欠き、自己の力量をも知らず、実現不可能な理想をふりかざして、社会不安を醸成したゝめに、却つて反動的勢力の擡頭に、口実を与へてしまつたのである。彼等の妄動のために、合理的な労働運動や、正当なプロレタリヤ解放運動までが、オヂヤンになつてしまつた。十年前までは、あんなに盛んであつた改造とか解放とか云ふ言葉が、今ではどこにも聞こえなくなつた。日本の社会改革運動は、合法的な社会民衆党的な主張に依つて、穏健に確実に行はるべきであつたのである。
— 菊池寛「話の屑籠」(昭和10年5月)[17]

:引用終わり

というかんじで常識のある人間だったようだが、菊池寛実はタイプの違う能力者で何度も官憲に逮捕されているクラス(以前鹿島建設で何か騒ぎがあったときそこのおばあさんがテレビで「大きな商売やってたら一度や二度は後ろに手が回るのは当たり前だ」と言ってました。)の大事業家だったようだ。娘さんの、婦人雑誌で紹介しているお雛様は鹿児島寿蔵の紙塑人形で(←元人形マニアの私も沢山作ったので詳しいです)悪い物ではなかったのだが、だんだん年取ってみると日本文化のスタンダードとしては今ひとつ物足りないところがある(極論すれば私でも作れる)。
この菊池智氏は現代陶芸作家の大パトロンであったらしく、菊池寛美・智(とも)美術館というものを今に残している。私は「現代」とつくものにはあまり高い評価はしない。大きな箱にゴミを麗々しく飾り付けるのを許し始めると、調子に乗った人間が公費を使ってゴミ屋敷を造って儲け、若い者の教育にも大変悪いからやめてほしい。材料だって無限ではない。


それはそれとして、義和団事変のことである。この件では伊丹十三がエッセイで自分のサクセスストーリーとしてたいへん面白く書いてくれているので若い頃は福井美也子嬢といっしょに大いに楽しんだが、意味はわかっていなかった。
・・・ので、もう一度調べてきます。
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/13 18:46削除
今日の晩ご飯。ハム入りのおやき?が美味しそうなハンバーグだと思っているちびぬい達。
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/13 19:59削除
チビが買ってきた期間限定のスライムパン(バター香るミルク味)とロトのパン(チョコクリーム入り)。
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/14 00:14削除
ところで「極論する」という言い方はアリなのだろうか。「極言すれば」はある。「極論ではあるが」もある。が、うーむ、ナシかな・・・・
返信
返信3
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/11 22:28 (No.1323997)削除
今日平家物語の会場に早い目についたら、上横手先生が建物の玄関のドアを入ろうとしているところだった。自動ドアというのは不便なもので、開いたドアの前で老人がのろのろしていると閉まってしまうのである。それで私が体で止めて、「便利なのか不便なのかわかりませんね!」と大声で言って、笑っておいた。
授業が始まるまで事務所の前のテーブルでおしゃべりしていたのだが(さっき河道屋で買ってきたできたての蕎麦まんじゅうも上げました)、パパもここで古文書を教えていたというと、「こもんじょおしえてはったん!ほんまに!」とちょっと驚いていた。そして私が「一般の方々でも、直ぐに上手に読まれるようになる人がいるので、びっくりしていました」とい言うと上横手先生は(私の場合先生と呼んでも良い年長者は貴重である)古文書の文字を解読する能力と歴史家としての能力は別だ(石母田正は読むのが苦手だった)と言うが、文字の読めない人間はそれだけの力しかないのではないかと私は思う。
解読も総合的な能力である。私の場合はほぼほぼ正確な知識の多寡とパーツをどこに戻すかというシミュレイションの適否の問題である。だからお習字に通っているし、お習字に詳しい人々(京大書道部OB会)に混ぜてもらって漢字周辺情報の吸収に努めている。
パパが《共産主義》にかぶれていたのは石母田ヤッホーの時代が史学科にあったせいだろう。パパはすぐはあきたというか、「あやしい」と感づいたというか、そもそもも引っかかるなよこんな一目見たらインチキとわかるもんに(怒)、とにかく何となく「歴史学の法則」から逃げ腰になって、「既存の研究の隙間を狙う」と称して独自研究を始めるのを私は見るともなしに見ていた(国立大学教授の子供だから他になにもすることがない)。

ここだけの話だが、「こもんじょおしえてはったん!」という驚きは、ひょっとするとパパの古文書を読む能力は京大の超能力者達の中ではたいしたこと無かったのではないか、という疑いが持たれる(笑)。まあ、人間、自分のできることを誠実にやるしかない。極少ない情報から正解に跳べる、という能力だってあるのだ。ビッグデータに対してはこちらのほうが強い。

またカメラを忘れていったのでゲンぬいちゃんは単についてきてくれただけになった。しかしゲンぬいちゃんは上機嫌でにこにこ笑っていて、この子はよほど勉強とかが好きらしい。なんだか顔も上横手先生に似てきたような気がする・・・
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/12 00:51削除
すぐは×→すぐに○      そもそもも×→そもそも○
返信
返信1
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/4 20:24 (No.1318597)削除
11月は締め切り月(①同人誌②OB会③年賀状)であるのに今週末から来週末の予定が入れすぎになっている。いつ原稿描くンだ、私(←ばか!)。
10日は法学部女子の同期の同窓会で、「コスモスの会」だとおもってたら「秋桜舎」だった。しかも名付けたのは私である(←こんな奴だから人望がないのだ)。次の日に上横手講座があるのでお泊まりはできません、10日のランチだけ行きます、といって連絡したら、稲葉さんもそうです、という返事だったので、「稲葉さんって誰?」となった(←同期が結婚したあとの姓を全く覚えていない。実は結婚前の姓も、相当怪しい。こんなやつだから以下略)。
色々中間を略して、裁判官の上柳さんだと言うことがわかった。私とドイツ語のクラスで女子二人だけの同級生で、父上が商法の教授だったのだが(私は1回生と2回生は骨髄炎が再発して入院手術していたので単位は普通の成績で取ったと思う)、この度初めてウィキを引いてみると


1922年3月5日 - 2007年12月7日

学歴
1943年(昭和18年)9月 京都帝国大学法学部卒業、同大学院特別研修生
職歴
1946年(昭和21年)10月 京都帝国大学法学部講師
1947年(昭和22年)7月 京都帝国大学法学部助教授
1954年(昭和29年)3月 京都大学法学部教授               ・・・・この年私が生まれている。
1960年(昭和35年) コロンビア大学法科大学院客員教授
1974年(昭和49年)10月 京都大学法学部長(1976年(昭和51年)10月まで)・・・・私は1975年に法学部に合格している。
1985年(昭和60年)3月 定年退官                     ・・・・この年チビが生まれている。
1985年(昭和60年)4月 京都大学名誉教授、大阪学院大学法学部教授(1997年(平成9年)まで)
1989年(平成元年)10月 大阪学院大学法学部長(1993年9月まで)      ・・・・2006年にチビが入学した。
学外における役職
1972年(昭和47年) 法制審議会商法部会委員(1997年(平成9年)3月まで)
1998年(平成10年) 日本学士院会員
栄典
1997年(平成9年)、勲二等旭日重光章受章
著書
主著
『会社法・手形法論集』(有斐閣、1980年)
『商事法論集』(有斐閣、1999年)

ということで、パパより二つ上の、旧制の京大出の学者である。
経歴のシンプルさと著書の精選された少なさはパパと同じ古いタイプの学者であることを示している。

年代的に私に関する人事権を持っていたことはギリギリでなさそうである。

年代的にチビと出会ってはいないが、大阪学院大学の先生をしていたのは今まで知らなくて、親しみが湧いた。きっと、京大の先生の良い典型を内外に示して周囲に良い影響を与えたのだろう。大阪学院大学は本当によい大学だった。

あと、法制審議会で、証券法について何をやったのかが問題である。
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/5 05:38削除
引用:    正面玄関の石段を上がると、入り口には、彫刻家の斎藤素巖(さいとう・そがん)の1924年(大正13年)の作である「空」または「雲」という名の大きなブロンズの浮彫りが ...
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/10 16:47削除
上柳教授は本を書いてもページ数が少ないのでお金にならないと家族で評判が悪かったそうである(爆笑)。母上は私の結婚式の写真を見て仲人さん(前述の天理教徒)の仲人振りがよいと褒めた着眼点に優れた御仁だが、100歳で元気だそうだ。直木孝次郎教授は一中一高京大(旧制)で、史学科がリベラルだから京大にしたのだそうだ。晩年介護施設にいて、「どうも僕は監視されているようなんだ。左翼の大物と間違えられているらしい。」と言っていたそうだ。心温まるエピソードである。重子嬢および由起子嬢は元気であった(孫とか一杯居る)。うえやなぎさん(稲葉さん)は学生時代と体格も服装も変わらなさすぎて、レインコートを着た薄い背中なんかそのまんまであった。私はこの顔だから一目でわかったはずである。それなのに彼女は(彼女はマスクをしていたので此方からは確信が持てない)岡本駅で迎えを待って私と二人で10分も一緒に居たくせに、声も掛けてくれなかった。ひどいな(笑)
同窓会などで、此方の脳の働きなのだろうが、グシャボロの見知らぬ老人の集団に見えていた顔々が、だんだん石化が融けるように元の友人の顔に戻っていくのをみるのはいつもおもしろい。きっとみんなもそうなんだろう。
この面々はやはり皆民青系で、そしてドクターストーンをしらない。それから、法学部330人の内30人女子といったのは私の間違いで、18人、入学して直ぐ一人自殺したので実質17人だったそうだ。
返信
返信2
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/8 20:37 (No.1321427)削除
美容スタジオのフェリーチェで、誕生日祝いと言って御菓子とミニ花束をもらった。お花はエンジェルさんの配慮で、司カラーだった!「杉本さんの花ならもっと淡いパステルかと思ったんですが、ここは推しのイメージカラーで」よし!エンジェルさん、グッジョブ!お花は真っ赤なガーベラと濃いピンクのカーネーションと小さな桃のようなヒペリカムと、赤紫のハランのようなコルディリネ←和名はセンネンボク(千年木)です。ちょっと千空ちゃんとかぶる?(←うん、そう思っとこう。)
うちに帰って生けてみると、司は花咲く乙女達に、こんな可愛い華やかな子だと思ってもらっているんだ、と、しみじみ嬉しい。
返信
返信0
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/5 19:56 (No.1319284)削除
ざっくり、経済の不動点は金との交換である。近代の経済史は金兌換の歴史である。「それをゆうたらあかん」ので三宅義夫の本は難しい。

引用


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三宅 義夫(みやけ よしお、1916年12月14日 - 1996年10月19日)は、日本の経済学者。
マルクス経済学における金融論専攻。
元立教大学名誉教授。元経済理論学会代表幹事。

立教大学では山本二三丸(景気論専攻)、小林昇(経済学史専攻)らと並び
戦後の経済学部を引っ張ることとなったが、
このことは立教大学経済学部にマルクス経済学講座派の牙城を築くこととなり[1]、
欧米の主流派経済学の導入を妨げる一因となった。
[2] 経済学への貢献と言う観点から見ると、
マルクス資本論3巻の理解を基にした、貨幣の本質や信用論の深化が挙げられる[要出典]。
一部にではあるが資本論への回帰が叫ばれている[要出典]。

略歴
1933年 朝鮮龍山中学校第4学年修了
1936年 静岡高等学校卒業
1940年 東京帝国大学卒業。第一銀行入行(-1949年3月)
1949年 立教大学経済学部助教授
1956年 立教大学経済学部教授
1960年 経済学博士(立教大学)
1965年 4月、経済学部長(-1969年3月)
1973年 経済理論学会代表幹事(-1975年)[3]
1982年 立教大学定年退職、大東文化大学教授。7月、立教大学名誉教授
著書
『貨幣信用論研究』(未來社、1956年)
『金融論』(有斐閣、1966年、新版1981年)
『金』(岩波新書、1968年)
『マルクス信用論体系』(日本評論社、1970年)
『国際通貨体制と円』(青木書店、1971年)
『マルクス・エンゲルス/イギリス恐慌史論』(上・下、大月書店、1974年)
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/6 21:59削除
マンションの入口に消防車が着て、そのあとまもなく大きな警官が聞き取りに着た。階下の部屋で亡くなった人がいて、事件性はないと思いますが、というので、この部屋ではマンション内部の音は風呂場の水音(それも天候などにより聞こえ方が違う)全くと言っていいほど聞こえず、むしろ屋外の音のほうが良く聞こえる旨を説明した。〈近所では「争っているような音声」は聞こえなかった〉ということで(←多分)警官は帰っていった。

こういう事は2回目で、今後もあるだろう。亡くなった井上さんという老年の女性は確信はないのだが、もし私が「あのひとかな」と思っている人であれば、この夏は元気だった。ご冥福を祈る。
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/6 22:00削除
着て×→来て○
m
momijiさん (8ewdpptg)2024/11/7 19:46削除
冬立つ日北の町より便りありてこの空の果ての雪を思へり
   司

うちの同人設定では司に友達はいないので、この歌はフィクションの中でのさらに仮想詠である。歌は元々フィクションの操作を旨とする。源氏物語のなかのキャラの歌は勿論全部作者が一人で書いている。こういう強い高度な虚構性ばかりではやはり寂しく感じる為か、知り合いの、実生活の実感を読んだ歌や俳句などを尊重する流れもあるのは至極当然であろう。それぞれに役割があって良い。

インドネシアで大噴火があったそうで、テフラ(火山噴出物)が日本の方に流れてきて日照を遮るならば、この冬は寒くなる。
返信
返信3

Copyright © 三日月亭2, All Rights Reserved.