momijiさん (9f0xaqpt)2025/3/11 23:25 (No.1405999)削除桓武天皇系の天皇家の都設計プランとしては、本来は比叡山の日吉神社(ひえじんじゃ)・延暦寺ー最澄、に対して、愛宕山の愛宕神社(仇子=カグツチで火山信仰を取り込もうしている)・神護寺ー空海、という構図であったと思うのだが、空海は大衆教化に特化して、町中の東寺に根拠地を移したのだろうか。空海がいなくなったからかどうか知らんが、神護寺は荒廃する。
平家物語では大活躍するキャラに文覚上人というのがいて、なんだか巫体質のようで、何に感応したのか分からないが、滅びていた神護寺を再興しようと猛烈な活動をする。
平家物語は一応フィクションなので、文覚を実在の人物として見るために不動点として遺品を上げれば、神護寺に今も残る紫色の絹に金泥で書かれた素晴らしい空海ゆかりの両界曼荼羅は、淳和天皇の寄進によると言うが、平家物語に依れば彼が、流出していたのを全力で後白河法皇に訴えて神護寺に(維持系として付けられていた荘園と共に)取り戻したのである。そして今年はどうなるか分からないが神護寺でゴールデンウィークには毎年虫干しされていたという文覚四十五箇条の起請文は、長さが100メートルもある猛烈な物であるそうだ。内容はたいしたことは書いていないと上横手先生は言っていた。長さが大事なのである。それと、この100メートルの最初と最後におされている後白河法皇の手印が。
文覚は仏法国法相依を主張したそうだ。これは国家運営プランとしては、21世紀の目で見ればいけてる考え方である。後白河法皇とのコラボがあったのはいわゆる平家滅亡のタイミングである。平家はおそらく外国勢力と結んで遷都を目論んでいた。
文覚が頼朝に挙兵をそそのかしたというのは史実かどうか分からないようだ。ただ、源氏が結局三代で消滅しているのは、天皇家の保護がなかったことを示す。