momijiさん (9f0xaqpt)2025/6/15 15:08削除1970年に国家の方針として証券売買が一般に開放奨励されるにいたり、社会の常識が完全に変わって、昭和55年つまり1980年ぐらいには、私が集団論をやりたがったぐらいだから、已に従来の表現様式としての学術論文(発信元と対象の集団が確定されない)は「ひょっとしてこの形式、もう無効になってるんじゃ・・・」という疑いがもたれていたのだが、まあ間をはしょって言えば、論文という形式では、おおくの場合、先に言いたい放題根拠もなく(笑)書いてしまってから、図書館あるいは最新の雑誌から裏付けになる先行論文谷データを大量に探して注に振っていく、という方法が一番適切な書き方であって(又これができない勘の悪い個体は論文ではなく、論文を書く個体のサブ作業をするべきなのである。これも重要な役目だ)、そんなことを大学で認めるわけにはいかなかったらしい。その時点での不都合な事実というものである。