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momijiさん (8ewdpptg)2024/8/3 23:31 (No.1231011)削除夕方からピアノのレッスンに行った。
またアガサクリスティだが、プロデューサーが美しい女優に演技指導をするときに、彼女の中にはない高級な感情を表す表情をさせるために、彼女の大好物のチョコレートクリームの御菓子のことを考えろと命令するところがある。それで、脚本にある「大変な困難を乗り越えて偉大なことを成し遂げた女性が、全てから解放されてこれから光に満ちた静かな生活(もしかしたら神様の手に抱かれて死ぬのかもしれない)に入る」という荘厳な憧れと満足の表情を浮かべさせるのである。
まあそんなことを、チビのピアノの先生がチビの指導をするところを見て思いだしていた。
ホロヴィッツとルービンシュタインは中村紘子の『チャイコフスキーコンクール』かなにかで対照的に面白可笑しく描いてある(もちろんホロヴィッツをいいようにかいてある)。私はホロヴィッツが圧倒的に贔屓でこの二人を比べてみたことすらなかったのだが、このたびチビが弾くショパンのアレンジ曲の元になったピアノ協奏曲第一をユーチューブで探したが、ルービンシュタインともう一人若い人の動画しかなく、取りあえずルービンシュタインを聞いてみた。
驚いたことに、プロだから勿論桁が100ほど違うのだが、下手なときのチビに、欠点が似ている。それでちょっと気になってウィキを見てみた。ホロヴィッツもあらためてみてみた。それで初めて気がついたのだがこの二人は意外に被る。まず外見が、やせ形の、油断のならない人相をしたユダヤ人の老人である。ヴェテランの演奏家であるから服装は正装に決まっている。付き合わねばならない相手もプロトコルも同じである。
大方の意見だが、ぶっちゃけホロヴィッツのほうがピアノは上手い、というか、神である。そう言うと、ルービンシュタインのほうは努力家なのかと思うがルービンシュタインはタダの超天才で、ピアノは多分「ピアノも弾ける」だけなのだと思う。弾いているだけである。中村紘子の本に依ればホロヴィッツのほうが最初は普通の天才だったようだ。成長して、何か違う、時を越えて輝く偉大なもの、人類の宝になったのである。
どちらも高知能の冷静な理論家で地道な音楽研究者であるらしい。そして二人ともピアニストとして成功しているから結果を出せているのだ。
インボーロンだが、ラフマニノフの2番をホロヴィッツが演奏会で弾いたことがない(もちろん勉強し尽くして暗譜も完璧だったそうだ)のは、ルービンシュタインの為に空けておいたんじゃないのか、まであるよ。おもしろすぎる。
先生の前では緊張して上手く弾けないチビは一回目は棒のように単調で間違いだらけの演奏をしたが、先生のご指導よろしく(「ここをタララと強く」とか「このクレッシェンドはここから」とか、具体的)、見違えるように表情豊かな表現になって、今日のレッスンは終わった。
連弾については、入りの「泣き」はばっちし(←表現が70年代)、という感じであった。私の《泣く音》は、歌謡曲には無敵みたいだ。
今回は音楽に於ける「泣き」がテーマみたいになっている。(笑)